2012/06/27

映画を観てきました。

先週の日曜日に、「セヴァンの地球のなおし方」と言うドキュメンタリー映画を観に行った。





「セヴァン」と言うのは、今から20年前の1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された
環境サミットにおいて、わずか12歳で伝説のスピーチを行った人物、
セヴァン=カリス・スズキの事。





現在、環境活動家として活躍する彼女は、この映画のキーパーソンとして出演している。


『どうやってなおすのかわからないものを
壊しつづけるのはもうやめてください。』


あれから20年近くがたったが、状況は相変わらずである事を悲しみ、
涙を流すシーンもあった。

「相変わらず」ではなく更に悪化している様にも思えるが…

この幼いセヴァンのスピーチシーンがところどころで映し出され、
涙が込み上げそうになった。

子供の真っ直ぐな言葉は、時に痛い。
大人になった私が改めて彼女のスピーチを聞いたからかもしれない。

20年前は私も子供だったから良く解らなかったけど、今の日本の状況を考えると…

20年前の映像を観ながら、今の子供たちの声を聞いている様で、
とても苦しく、申し訳なく、情けなく思わざるを得ない。

原題は「Severn  La voix de nos enfants (セヴァン 私たちの子供の声)」。
ジャン=ポール・ジョーと言うフランス人監督の作品。

邦題の訳が違うが、映画の中に、セヴァン以外に地球をなおそうと言う
志のある人々が出てくるので、きっとこの邦題になったのではないかと思う。

その中には日本で有機農業を実践する方々も出てくるので、
日本人の私が観ていても共感出来る事は沢山あった。

「遠い国の事ではない」と言う焦りも一緒に。


『 「母なる自然を守り地球を救わなくては」 気持ちはわかりますが、
私の考えは違います。
地球は自力で生き残れる。

私たちが望むのは、幸せで健康な生活です。
大切なのは生活の質と健康、そして子どもなんです。

だから私は自己中心的に、自分たちをどう救うかを考えていきたい。 』

セヴァン・カリス=スズキ


ジャン監督は、この映画が日本で上映された昨年6月に来日し、
カメラを持って福島訪れている。

次回作のテーマは「原発」だそう。


















2012/06/08

ぎっくり腰風なものになりました。

ギニアで。

何故ぎっくり腰になったかと言うと、ダンスレッスンが理由ではない。

毎日レッスンから戻っては、レッスン着を洗濯する日々。

ぎっくりした日も帰宅して洗濯。

その日はたまたま、レッスン着の他にも自分の普段着やクルマンケの服、
汚れた食器等、洗い物が特にたまっていた。

ためたくてためたわけではなくて、水道事情が日本とは違い、
蛇口をひねればいつでも水が出るわけではない。

家に居る時間に水が来ていれば水くみが出来るし、来ていなければ
来る日まで待たなければいけない。
それまで水は大事に使わないといけないので、洗濯は毎日しないのが
普通。

洗濯物が沢山あると疲れてしまし、本当に洗濯機のない洗濯って
大変なのっ!!!!!

レッスンよりも疲れるから、毎日少しの量をせっせと洗ってたんだけど
たまってしまう時もある。

で、話を戻して、10L位水が入った20Lポリタンクと、20L満水の
ポリタンクを外に出して玄関先で洗っていた。

10L使い果たし、満水の方は1,2L位の使用で済んだので、
全て洗い終えた後に、ほぼ満水のポリタンクを家にしまうわけだけど、
家の構造上、玄関先から玄関の戸まで5,6段程の階段を上る。

その階段をほぼ20Lの水を持ち上り、更にいくつかポリタンクが
家の中にあるわけだけど、ほぼ20Lの水を、そのポリタンクの上に
乗っけようとソリャッ!って持ち上げた瞬間、鈍い音が体の中で
響いた(気がした)わけですよ…

ほぼ20Lの水を持ち上げた時の姿勢も角度も悪かったのかもな~…

洗濯物も干し終え、洗った食器も仕舞い、最後のタンクでこれか~…

どうする事も出来ず、とりあえず、ゆっくりゆっくりベッドまで歩いて横になり、アミナタに電話。

次の日の朝の状態次第では、休みにして欲しいとお願いした。


ぎっくりやったのが初めてだったから、本当にぎっくり腰かわからないし、
とりあえず、日本から持ってきた湿布を貼って、鎮痛剤を飲んで、
4日間はゴロゴロ過ごしてました。

でも、この4日の間にクルマンケが食あたりを起こし、ぎっくり腰の私が
看病する事になって・・・。

ギニアって、ホント面白い所です(笑)。













































2012/06/06

ギニアって国は…

ギニア人は、日本人よりも筋肉量が多く、運動量も多く、そして死亡率が高く、平均寿命が低い。

その原因のほとんどが病によるもの。

日本人よりも力が強く、健康体に見えてもだ。



今年、又1人友達が病の為亡くなった。

帰国早々の報告が訃報で申し訳ないけれど、これを先ず書かなくてはいけないと思った。


彼女の名前は、アミナタ・ジュバテ。

マリンケのイェリムソ(グリオの家系、彼女はセレモニー歌手)だ。




初めてあったのは2008年。

キソソに住むダンスの先生を紹介してもらい、アミはその先生の友達だった。

彼女達はキソソにあるグループ「バガタ」のメンバーで、そこの練習に参加させてもらっていた私に
ダンスの指導をしてくれた。


2009年、2010年。

この年は、私の彼氏のグループ「バランドゥグカン」の練習に参加させてもらった。
バランドゥグカンは元々パーカッション中心のグループだったが、ダンサーを充実させるために、
アミを指導者兼グループのトップダンサーに迎えていた。

ここでも沢山のダンスを教えてもらった。


2011年。

私のダンスの師匠、アミナタ・コンテ師の実弟、コロのお墓参りの為にフォレカリアへ出向いた帰り、
セレモニーの仕事でやって来ていたアミに偶然再会する。

この年は、これが彼女との最初の対面で、これが彼女との永遠に最後の対面になってしまった。


彼女のダンスが大好きだった。

小さな体でとてもパワフル且つダイナミックに踊る彼女は、
名前からして、私の師匠のアミナタにとてもシンクロする。

男勝りで、よくグループ内で衝突していた。

髪を編む仕事をしていて、いつも綺麗に編んでいて、とてもお洒落で可愛いのに、ひょうきんさは人一倍だった。


この訃報を、師匠アミナタにも話した。

師匠アミナタも彼女の事を少し知っていて、勿論ダンスも見た事があった。

「人が亡くなる事は悲しい事だが、アーティストが亡くなるのは、同じアーティストとして本当に
悲しい…」


ギニア人の友達の数より、日本人の友達の数の方が多いが、
亡くなった友達の数はギニア人の方が多い。


アーティストや、亡くなったアミの様にセレモニーの仕事があっても、収入は私達が考えているより
はるかに不安定だ。

ご飯が食べられないなんて当たり前の事。

そんな彼女達に私は何年もお世話になりダンスを習い、日本の生活の潤いを頂いている。


彼女達の素晴らしい音楽文化を学ぶだけでなく、実生活や彼女達の置かれている環境についても
同じように学び理解して下さい。

きっと、踊り方や叩き方に良い変化をもたらしてくれると、私は思います。